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不断の精神力で 第74回 全日本大学野球選手権大会 準優勝

スポーツ健康科学部 スポーツ健康科学科4年

髙松 紳志

2025年6月に開催された「第74回全日本大学野球選手権大会」で、4年ぶりに準優勝に輝いた福井工業大学硬式野球部。髙松紳志さんは、2024年6月から主将として選手を統率し、本大会に臨んだ。主将として常に心掛けていたこと、緊迫した試合での体験談や準優勝の喜び、野球を通して学んだことや今後の抱負などをうかがった。

戦略や工夫がものをいう野球。チームの可能性を感じて福井工大へ


小学1年生のとき、地域の野球チームに入った兄の後を追うように野球を始めた髙松さん。中学までは投手、高校からは外野手として活躍し、高校は地元の京都を離れ高知県の明徳義塾高校に進み、甲子園大会にも出場した。「中学時代までのチームは、試合に出場できるかできないかの人数でした。そういう弱小チームでも、戦略、攻守の工夫、チームワークなどを駆使して戦えば、強いチームにも勝てる。それが野球の面白さだと思います」。

実力と高校での活躍が評価され、福井工業大学硬式野球部から熱心な勧誘を受けた髙松さんは、練習場のカールマイヤーグラウンドなどを見学し、当大学への進学を決心した。「室内練習場とサブグラウンドができると聞き、優れた練習環境に惹かれ、他校からも力のある選手が集まってくるだろうと考えました」。さらに、スポーツ健康科学科で保健体育の教員免許を取得できることも決め手の1つになったそうだ。

「氣」を掲げ、日本一目指して主将の役割に全力投球


2024年6月、春の全日本大学野球選手権大会終了後の代替わりで主将に選ばれた髙松さんは、1年間のチームスローガン「氣」を自ら考案した。「同期の3年生で、力のある選手が何人か退部しました。スター選手がいないチームが何を強みにすべきかを考える中で気づいたのは、ここには、野球のために地元を離れる決心をした、強い気持ちを持った選手が集まっていることでした。


そこで、気持ちでは負けないチームを作りたいという思いを『氣』で表しました」。旧字体の「氣」を用いたのは、高校時代、野球部の仲間の1人に頼まれ、その帽子に書いたのが「氣」だったことに由来するそうだ。彼は、その後選手として大きく飛躍。「氣」には、「強い気持ちがよい結果につながる」ことを部員に伝えたいという思いも込められている。

守りを固め、粘り強い試合展開で全国大会準優勝!


「第74回全日本大学野球選手権大会」は、6月9~15日、明治神宮野球場と東京ドームで開催された。全国27リーグの優勝チームが出場し、福井工業大学は北陸リーグの代表校として試合に臨んだ。「うちは守備のチーム。リーグ戦と同様に“守って勝つ”を目指しました。全員が守備に意識を向けつつ、相手より1点でも多く取るという気持ちで、投打がかみ合った結果が今大会の成績だと思います」と振り返る。



1回戦4-2、2回戦3-0、3回戦2-1、準決勝6-5と勝ち進み、中でも中京大学との3回戦は激しい接戦だった。「中京大は非常に強いチームで、押される展開が多く、必死でしのいでいる中で、結果として1点多く取れた、というのが実感です。でも、僕らの攻撃のときの応援がものすごい盛り上がりで、福井工大が勝つのでは、という期待が球場に広がっていると感じました」。

決勝は、過去に3回優勝している東北福祉大学と対戦。相手の強力打線に連続得点を許し、反撃の流れをつくれず1-8で準優勝となった。優勝に届かなかった悔しさはもちろん大きいが、髙松さんは、目指していた戦い方ができたとも感じている。
「監督から常に言われているのが、最後の27個目のアウトを取り切るまで気を緩めず、隙をつくらないことです。1つ1つアウトを取ることに集中する意識は一番強いチームだったと思っています」。試合が終わるまで何が起こるかわからない。緊迫した状況の中で決勝まで戦い続けられたのは、プレッシャーに耐える選手たちの気持ちの強さが発揮されたからだ。


自分自身のプレーで最も記憶に残っているのは、1回戦の近畿大学工学部戦でのサヨナラ2ランホームランだという。2-2で迎えた9回裏、4番でバッターボックスに立った髙松さんの打球はライトスタンドへ。「それまでの4打席は相手投手に抑えられっぱなしだったのですが、最後のチャンスが自分に回ってきたとき、不思議と冷静になれたんです」。その後の活躍も評価され、個人タイトルの敢闘賞を受賞。大会終了直後は準優勝の銀メダルに喜びを感じていた髙松さんだが、1カ月程経ってから敢闘賞のトロフィーを改めて眺め、自身の受賞の実感を噛みしめているそうだ。


野球で身に付けた忍耐力と考える力を活かしたい


全国大会終了後も、選手として活動を続ける髙松さん。現在の目標は、秋の「明治神宮野球大会」である。この大会は、リーグ優勝後、他の2リーグの優勝チームと戦う三連盟王座決定戦で勝ち抜いたチームが出場でき、春よりハードルが高い。「福井工業大学が出場したのは30年くらい前だと聞いており、大きな目標にしている大会です」と意気込んでいる。


卒業後は、東京に本社がある企業に就職予定だ。同社には野球チームがあるが、髙松さんは、通常の就職活動を経て内定を獲得した。「野球チームに入るにしても、社会人として仕事をすることを踏まえ、野球の技術だけでなく、1人の大人、1人の社員として評価する採用方針の企業を選択しました」。

社会へ出てからも、野球と主将の経験で培った忍耐力や考える力を活かしていきたいと話す髙松さん。「野球は半分が失敗のスポーツ。バッティングは3割打てたらいいと言われますが、打てないとき、調子が悪いときにどう行動するが大事です。野球を続けてきたおかげで、良い結果が出ないときに我慢する忍耐力が身に付きました。また、強いチームに勝つために何が必要かを探しながら練習してきたので、考える力も養えたと思っています」。自身の心の動きと周囲の状況を冷静に見定め、適切に対処しようとする姿勢は、仕事をはじめさまざまな場面で確かな力を発揮するに違いない。


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