福井工業大学 Fukui University of Technology

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熱中時間

FUTの人たちの最高の
時間をインタビュー
FUTの人たちはなぜ熱中しているのか。熱中するものだけが感じられる最高の時間とは何か、に密着する。

No.13
建設工学科 平成17年度卒業
後藤 悠介
theme:カヌースプリント

湖や川で行われるカヌー。その中でもスプリント競技は、流れのない静水につくられた200m、500m、あるいは1000mの直線コースをカヌーを漕いでそのスピード(タイム)を競う競技。旧芦原町出身の後藤悠介さんは、小学校でカヌーポロを始め、高校でスプリントに転向、以来200mカヤックシングルで数々の大会で実績を上げてきたカヌースプリント選手。一度は競技生活をあきらめたものの、ロンドン五輪のカヌー競技に得意とする200mの種目が採用されたことから、新たな希望を見い出し、復活を遂げた後藤さん。「世界一になりたい」という強い決意を胸に、31歳を迎えた今も厳しいトレーニングに励んでいる。

カヌースプリントとの出会い


後藤さんがカヌーと出会ったのは小学3年生のとき。旧芦原町が「カヌーポロ」を町技として取り入れたのがきっかけだ。カヌーポロとは、1人1艇(てい)のカヌーに乗り、5人対5人で相手ゴールにシュートを決めながら点数を競う競技。バスケットのカヌー版といえばイメージしやすいだろうか。小・中学校でカヌーポロに取り組み「もっとうまくなりたい」と思っていた頃、「ボールに早く追いつきたかったら、スプリントの艇に乗ってスピードを強化すればいい」というポロの指導者の一言がカヌースプリントを知るきっかけになった。カヌースプリントとは、流れのない静水につくられた200m、500m、あるいは1000mの直線コースをレース専用カヌー(スプリント艇)を漕いでタイムを競う競技。こちらはポロと違って、むしろ陸上や競泳のような種目である。


高校はカヌースプリントで実績のある石川県立小松商業高等学校に入学。しかし、入部したカヌー部でポロとスプリントの違いに戸惑うことに。安定感があり、小回りのきくポロ艇とは違い、スプリント艇は自転車で例えるなら競輪車、スピードを出すため限界まで細く不安定な形状の艇である。
「はっきり言ってゼロからカヌーを始めるくらいの感じ。長さも、幅もまったく違う艇はまるっきり別モノ。とにかく細い艇にすごく焦りました」。
普通、入部したての1年生は最初の2ヶ月ほど転覆を繰り返しながらうまく乗りこなすための練習に専念する。最初はスプリント艇に乗るのもやっとだった後藤さんだが、ポロの経験もあり、同期の誰よりも早く乗りこなし、4月の終わり頃には上級生に混じって練習するようになっていた。
実績のある部での厳しい競争。「誰よりも速くゴールを、一番になりたい」という思いで練習に励む中で着実に実力を付けていく。高校2年の時、国体で200mカヤックシングルで6位、400mで8位に入賞。3年の時はJOCジュニアオリンピックで優勝するほか、出場する全国規模の大会では必ず3位以上の成績をおさめるという、高校ではトップレベルの選手に成長。その時はナショナルチームに選出され、海外遠征にも参加した。
「苦しい練習の毎日でした。でもタイムが毎回早くなり、県大会でも出場ごとに順位が上がっていくのがうれしくて、楽しくて。それがなかったら続けていけなかったんじゃないかな」。

日本選手権で優勝。しかし国際大会で実力を発揮できるチャンスがない!


さらに実力を高めたいと関東の大学に入学。上を目指せる大学と選んだものの、高校時代との練習環境や指導の質の違いに唖然とする。「ちゃんとしたコーチもいない。練習の質も期待するものではなかった」と夏休み前には部活を辞め、大学も去ることに。次に進んだのが、福井工業大学だった。「部員も多くて、お互いに切磋琢磨しながら練習できた」。と納得のいく環境に身を置き、再び息を吹き返した後藤さん。在学中に日本選手権200mカヤックシングルで優勝。「この実力ならいける」と確信した時期だった。
目指すは世界一。

とはいえ、カヌースプリントはマイナーな競技である。卒業後も競技を続けるためには、実業団もなく、スポンサー探しも容易ではない。しかも当時の国際大会の正式種目は500mと1000mのみ。国際大会出場がメインとなるナショナルチームメンバーの選考基準も同じで、やはり500m、1000mに強い選手が中心に選抜されるため、200mを得意とする後藤さんにとって、当時、いくら200mで結果を出してもナショナルチームに選ばれない時期が続いた。そんな厳しい状況の中であったが、大学卒業後に競技を続行するための支援を3年間限定で面倒を見てくれるスポンサーが付き、とりあえず練習に専念できる環境は確保できた。目指すは2008年北京五輪出場だったが、この時点でもやはり正式種目は500mと1000mのみ。短距離を得意とする後藤さんにとって限りなく難しい挑戦だ。
結局、北京五輪のカヌースプリントの男子日本代表枠は誰一人取ることができなかった。その年、これまで後藤さんと競い合ってきた多くの同世代の選手がスプリント競技を去って行った。同じくして後藤さんの世界一への挑戦の気力も尽きてしまった。 引退を決意する。

200mが正式種目に、再び情熱が舞い戻る


カヌーから離れ、一般企業に就職。「初めての営業や事務の仕事で精一杯。スプリントのことは一切考えませんでしたよ」とサラリと言うが、本心は定かではない。ただ、当時スプリント艇に乗ることは一切なかった。

サラリーマン生活が3年目を迎えようという頃、彼のモチベーションに再び火をつける朗報が飛び込む。2012年のロンドン五輪でのカヌースプリント200m種目の正式採用だ。
「もう一度、挑戦したい」。彼の中に、再び情熱の炎がともった瞬間だった。
とはいえ生活のことも考えるとすぐに会社を辞めることはできない。年齢的な不安も頭をよぎる。「2年間のブランクもありましたからね。まずは仕事を続けながら試合に出てみようって決めたんです」。練習は週末のみ。現役に比べたら練習量は激減したが、不思議と焦りはなかったという。
そして、2年ぶりに出場した日本代表選考会でいきなり4位に入賞する。
「まだまだやれる!」。その時、もう一度厳しい競技の世界に戻ろうと決意が固まった。現役続行を決めた後藤さんの熱意に賛同し、山口県と福井県の会社がサポートしてくれることになり、競技生活に専念できる環境もなんとか整った。200mカヤックシングルに照準を定め、徹底してトレーニングを重ねた結果、2011年の国体で優勝。ついに復活の狼煙(のろし)をあげた。

世界一になって、初めて喜びをかみしめたい


国体とは別に行われた国内代表選考会では4位にとどまり、ロンドン五輪の日本代表から漏れたものの、次の課題を「アジア大会で代表入りし、結果を出すこと」に再設定し、現在も新たな気持ちで練習に取り組んでいる。それに、日本のカヌー界にも明るい話題が出てきた。北京五輪で0名だった日本男子選手も、ロンドン五輪では3名が出場。惜しくも200mカヤックシングルに出場した選手は決勝進出を逃したものの、それでも11位と健闘し、200mなら日本人選手が通用するという兆しも見えてきた。
もうじき32歳を迎える彼が今、最終目標として見つめる先は2016年のリオデジャネイロ五輪である。
現在の日本のスプリント200mカヤックシングルでは、上位3人がナショナルチームの代表入りが可能だが、後藤さんを含めて数名の選手がコンマ差の中でひしめき合っている。まずは、そこを抜け出すことが課題だという。

「カヌースプリントは、陸上や水泳と同じで、勝った者が一番速いってこと。小学生の頃やっていたカヌーポロは自分の力じゃなくても勝てるかもしれないけれど、スプリントの中でも特にシングルに関しては、自分の力がすべて。勝った者が強い。単純明快だから好きなんですね。だから、目指すのは世界一。昨年の山口国体で優勝した時、いろんな方が喜んでくれたことはうれしかったけど、自分の目標はそこじゃない。世界一になれたとき、初めて心底うれしいと思える時がくるはず。だから妥協はしません」。

2016年には35歳。代表入りのほとんどの選手が20代という厳しい世界で、リオデジャネイロはラストチャンスになるだろうと後藤さん本人も語っている。しかし、若手に代表の座を簡単に受け渡す気は全くない。むしろ、チャレンジャーとしてその座を勝ち取っていくつもりだ。“世界一”への夢を目標に、いまを戦っているのだ。



学年学科名等は、取材時のものです。

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