FILE No.4

小原ECOプロジェクト

建築生活環境学科 教授

吉田 純一

平成18年、県内有数の豪雪地帯、勝山市北谷町小原集落を再生する「小原ECOプロジェクト」を発足。大学の夏季休暇(8月上旬〜9月下旬)を利用して学生と共に古民家の調査・修復に取り組んでいる建築生活環境学科・教授の吉田純一さん。今年で6年目を迎え、これまでに6棟の民家を修復し、昨年は廃材を活用した休憩所も新設。その活動は毎年多くの人の注目を集めている。
そして今年(平成23年)の9月、公益社団法人日本工学教育協会が工学教育分野における顕著な功績や業績をあげた個人・団体を選出する「日本工学教育協会賞(業績賞)」を受賞。業績賞の受賞は全国で7名、北信越地区では唯一の受賞者だった。「大学の教員というと研究が主になっているように思うけれど、まずは教育者であるべきだと思っているんです。だから、小原ECOプロジェクトを通じて工学教育を評価してもらえたことが何よりうれしい」と笑顔を見せる。



荒れ果てた小原集落、そして有志が立ち上がる


小原集落は、勝山市街地から石川県白山市に向かって国道157号線を走り15分ほどのところにある、周囲を緑に囲まれた山間部の小さな集落。福井県内でも有数の豪雪地帯だ。

吉田先生が初めて小原集落を訪れたのが、プロジェクト発足の3年前。勝山市内にある寺社や町家など歴史的建築物の調査のため各所を回っていた時だった。

山の斜面に石垣を築いて段々状に家が建っていた。福井県内ではあまり見られない特徴的な景観。初めて小原を目にし「福井県内にまだこんな所があったのか」と目を奪われた。
「景観、家屋ともに印象的!斜面に立つ家が土壁で、外側を塗り込んでいて土蔵みたいな造りになっていた。こういう家は福井県内では珍しいんですよ。石川県の白峰とか鳥越など白山麓あたりの家の造りに似ているなって。福井県の家ではあるけれど、白山麓の流れを受け継ぐ家だってことに気付いたんです」。


ところが、当時30数戸あった家屋の中で人が住んでいたのは5戸のみ。ほとんどの家は屋根の軒が折れたり、土壁が剥がれ落ちていて、朽ち果てた空き家ばかり。崩壊寸前の状態だったのだ。

「このままではこの集落はなくなってしまう。集落の景観、そしてここに建つ学術的にも貴重な家を残し、伝えていかなければ」、そんな思いに駆り立てられた。
「小原を出て集落外に住居は移したが自分たちが育った故郷を守りたい」、その思いは地元の人々も同じだった。
吉田先生と地元の森林組合、小原の住民との気持ちが一つになり、ついに立ち上がった。
「すでに集落共同体の機能を失っている小原集落を昔のように再生することは不可能。集落の景観や伝統的な民家を修復して、山村生活体験などのイベント活動に使っていこうじゃないか」。
こうして始まったのが「小原ECOプロジェクト」だった。


まさに地獄!? それは生活用品撤去から始まった


プロジェクトは、平成18年夏、スタートした。
活動期間は主に大学の夏季休暇中。学生の参加者は10名だった。

初年度に修復したのは、集落のほぼ中央にあり、下の村道から約15mの高さにある、小原では標準的な規模の木造2階建て住宅。今後集落を修復する上で、またプロジェクト活動の拠点として重要なポイントになると考えられたからだ。しかし、空き家になって10年以上が経ち、雪の影響で軒先の垂木、けらばの桁や母屋のほとんどが折損。床板は反り返り、雨漏りもひどかった。


まずは、家の中に残っている生活用品の撤去から始まった。 家の中は着の身着のままで出て行ったような状態。衣類や布団、茶碗などの他、床下には1升瓶がズラリ、壺の中では味噌が腐り悪臭を放っている。

「いやぁ、正直この作業が一番大変だった。しかも、坂道を上り下りして運ばなくちゃいけなかったんだから。家の中を空っぽにするのに1週間!本当にしんどかったなぁ。僕でさえスタートから嫌になっちゃったくらい」。

棟梁から学ぶー技術、仕事に対する姿勢、働くことの厳しさ


民家修復を引き受けたものの、吉田先生をはじめ学生たちに大工技術がある訳ではない。そこで技術指導と修復に力を貸してくれたのが、先生が信頼を寄せる中間眞佐博さんだった。伝統技術を生かした和風建築を手掛ける現役の棟梁だ。

修復するにしても道具も何もない。カンナやノコギリ、カナヅチなど一部は揃えたけど全然足りない。棟梁が機械から道具まで惜しみなく貸してくれ、そして学生に対して一生懸命教えてくれる。「我々は朝6時起床で8時から仕事を始めますが、棟梁は毎朝4時から始めている。夜中遅くまで飲んでも、翌朝4時には必ず仕事に出る。そんな棟梁の姿を目にして、学生たちは学ぶんですね。初めはなかなか起きられない学生が、6時に起きて、きちんとした生活するようになる。8時からの仕事も10分前には準備を始めるようになる。すごいでしょ」。


木材を切り、寸法通りに合わせ釘を打つ、皆初めてのことで戸惑うことばかり。棟梁からは「何やってんだ」と怒られてばかり。ところが何日か経つと、体が少しづつ覚えていくようになるのだ。家屋が日に日にきれいになっていくにつれ、学生たちの手つきも慣れ、たくましささえ感じられるほどに。参加者はいろんな経験を経て、様々な知識や技を吸収していった。


1年目の作業は10月半ばまでずれ込んだが、きれいに修復された民家を見て学生、棟梁、地元関係者のみんなが喜びに沸いた。

予算がない。材料が買えない!


当初、予算がないことも吉田先生の悩みの種だった。
材料を買うこともままならない状態。
森林組合からいくらか提供してもらったが、全然足りなかった。

途方に暮れ始めた頃、突然チャンスが舞い降りた。
「修復していた家の下の方で、自分の家を壊しているおじさんがいてね。それを手伝って、垂木とか使える木材をもらうことができたんです。すごく助かった。もらった木材はどれも4mくらいの長さなんですが、1本1本川で洗って、現場まで担いで運びました。平坦地じゃないから上がり下がりするだけで大変。それも細い坂道を。今思い出すだけでも汗が出てきそうだよ」と笑う。
運も味方につけた。

テレビもない、携帯もつながらない、小原での過ごし方


寝泊まりは、ほんの少し前まで使われていた家を利用。仮設トイレを設置し、地元の人に簡易お風呂を作ってもらった。洗濯と食事は当番制だが、食事は離村して勝山市内に住むおばちゃんが昼と夜のおかずを用意してくれた。1升炊きの炊飯器が3台あるが、毎日夜には全て空っぽになるほどだ。
「地元の食材を使ったおかずがおいしくてね。うまいと食欲もすすむ。ここにくると痩せる人もいるけど、僕は太っちゃうんだよ」。

小原では娯楽は一切なし。テレビもないし、新聞もこない、携帯もつながらない。あるのは電話機くらい。学生たちは最初は時間を持て余すこともあるが、そのうち楽しみを見つけていく。
しかし、だれよりも小原の生活を楽しんでいるのが吉田先生だ。
「空気はおいしい。水は澄み、小川にはイワナが泳ぎ、川辺にはわさびが自生している。夜は満点の星空。川のせせらぎも心地よい。ここでの楽しみは、写真を撮って遊ぶこと。ぶらりと夜に出歩いて夜景を撮影したり、早起きして朝露が輝く草花を撮ったり。飽きることはないですよ」。
約1ヶ月の夏季休業中、自宅で寝るのはわずか4、5日。福井で会議があっても帰るところは小原なのだ。


吉田先生が撮影した小原の自然


プロジェクトから生まれた、学生と地域の人たちとの絆


森林組合の人や住民の人たちは、夏季休暇中の作業が終わると修復した家の窓を空けて風を通すなど、皆の活動を支えてくれる存在でもある。
「学生をイワナ釣りや山菜取りに連れて行ってくれたり。冬は豪雪体験ツアーなんかもある。雪の中に埋められて、雪崩に遭ったときどんなに大変なのかとか(笑)。 “ かんじき ” 作りを教えてもらって、翌日は自分で作ったかんじきを履いて雪山を散策したり、いろんなことを経験させてもらっているよ」。
小原は赤兎山や大長山への登山道の入り口。春の山開き祭には、学生は特産品市の手伝いをしたり、冬に備えて雪囲いを手伝ったり、薪割りをしたり、地域の人たちとの交流を通して強い絆を築いている。

小原の変化、そして小原ECOプロジェクトの進む道


今年(平成23年)の夏、小原ECOプロジェクトは6年目を迎えた。
これまでに6棟の民家を修復したが、一方で人が住む家は2軒になり、住民も2人だけになってしまった。
吉田先生の胸中は複雑な気持ちに違いない。
しかし、今では県内外を問わず多くの人がプロジェクトに関心を寄せるようになり、見学・宿泊体験をする人も年々増加、海外からも日本の自然を体験したいと訪れる人もいる。昨年の活動中、中国や台湾、韓国などの若者がやってきて、このような山奥で国際交流も行っている。
少しづつだが、小原は変わり始めているのだ。

「今後は、整備した家をもっと有効活用していきたい。6軒もあればイベント活動にも使える。修復した民家をどう活用していくかという方向で対策を練っていかなきゃいけないと思っています。同時に草刈りとか石垣や道の整備など集落景観の整備にも力を入れていきたい」。
吉田先生の小原への情熱は当初から少しも変わることなく、熱く燃え続けている。

プロジェクトを経験し、変わりはじめる学生たち


今でこそ入学時から参加希望者がいるほどだが、当初一番苦労したのが学生集めだった。
希望者を募ったが、反応はなし。「そりゃそうだよね、単位にならないし。一番暑い時期に山の奥で作業なんて誰だって嫌だよ。どうしたと思う?秘密兵器を出したんですよ。学校には内緒なんだけど(笑)。僕の建築学実習は秋に行うので、来ればその単位あげるって。現場で作業すれば立派な建築学実習になるでしょ。そうしたら、まず単位の足らない学生がポツポツ集まってきた。そういう子は勉強があまり好きじゃない。現場ではあれこれ指示しないと動かない。『何ボケッとしてる!』って怒られる。でもそうこうするうちに自分から仕事を見つけてやるようになる。今の学生は怒られたりする経験が少ないから最初は戸惑うけど、次第に変わってくるんですよ。1ヶ月間棟梁に絞られて夏休み明けに学校に来た時どうなっていると思いますか?もうびっくりするくらい変わっている。出来ないことにも自分なりに取り組むようになるし、お互いに教え合うようにもなる。積極性が出てくるんだね」。
毎年、後期授業で成長した学生たちに再会できる喜びを一人でかみしめている。

建築は、見て、触れて学ぶもの


同プロジェクトを通じて、吉田先生が実感し掴んだことが「福井工業大学に合った教育方法」だという。
「講義室で知識を教えるだけじゃない。実際に外に出て、本物の建物に触れ、体験する教育が、学生にとって力になるんだということをこの6年間で感じました。私の講義ではなるべく外に出て、実物を見ながらスケッチし、なぜこうなっているのかを自分で体験させながら教えるという授業を実践しています。幸い、ここには夢殿や正倉院がありますからね。実はこれまでもそういう気持ちではいたけれど、残念ながらあまり実践できずにいた。でも実際にプロジェクトでやってみて、この方法がうちの大学にはいいのだと確信したのです」。

「学生が好き」が教育の原点

吉田先生の話は、さらに教育論に及んだ。「私は、教員は学生が好きじゃなきゃ、教員をやっちゃいけないと思う。偉い先生じゃなく、良い先生でいること。学生が好きで、福井工業大学が好きであることが、教育の原点なのだと。人を好きじゃない人が、人に教えることができると思いますか?自分はこんな人間なんだぞとさらけ出すことで、学生はその先生を理解し、ついてくる。ついてこなくてもいいです。自分がこんな人間だということをちゃんと示すことが教育なのだと私は思っています。学生も先生の仕事を見れば、本気か否かわかるはずですから」。
背筋を伸ばし、真っ直ぐな目で語った。

学生、卒業生とのつながり・絆が僕の宝


研究室の周年記念提灯

福井工業大学に着任して、今年が26年目。
これまでに吉田研究室を巣立った学生は230名以上にのぼる。
今でも卒業生がぶらりと立ち寄ることもある。プロジェクトにボランティアで手伝いに駆けつけてくれた者もいる。
現役の学生たちは「純ちゃん」「親分」「ボス」と呼んで慕っている。
25年目の昨年秋に、芦原のホテルで25周年パーティーを開いたところ、全国各地から130余名の卒業生やその子供たちが参加。大いに盛り上がりをみせた。
「卒業生からの年賀状は毎年120〜130枚ほど。年賀状で元気かどうかを知るだけの卒業生がほとんどだけど、僕はそれを大切にしている。それが宝です」。
何よりも大切にしているのが、学生、卒業生との交流や絆だ。


大勢の卒業生が集まった、吉田先生の25周年記念パーティー

知れば知るほど、心底教えることが好きで、学生が好き、根っからの教育人なのだと知らされた。

吉田先生への質問


ECOプロジェクトの活動において、吉田先生は学生と一緒に汗を流しているのだろうか、先生だから指揮官として指示しているだけなんじゃないか、と疑問を持つ人も少なからずいるのではないだろうか。ズバリその疑問を投げかけてみた。
「何言ってるの!僕が一番動いてると思うよ。僕は家では田んぼ仕事もするし、庭の剪定や雪吊りなども自分でするんだよ。だから、スコップや道具を使うのは学生に比べたら遥かに僕のほうが上手い!それに、疲れたって休んでいると、学生に“先生遊んでる”って言われるから、チクショーって思ってやるんだけどね。絶対僕の方が動いていると思う」。


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