熱中時間

FUTの人たちの最高の
時間をインタビュー
FUTの人たちはなぜ熱中しているのか。熱中するものだけが感じられる最高の時間とは何か、に密着する。

No.3
産業ビジネス学科 講師
野尻 奈央子
theme:オープンウォータースイミング

産業ビジネス学科の講師としてスポーツ工学序論やスポーツ工学演習等の講義を担当する野尻奈央子さん。水泳の指導で培ってきた経験を活かしながら熱心に授業を行う一方、学外の活動で情熱を傾けているものがある。 “ オープンウォータースイミング ” だ。競泳選手からオープンウォータースイミングの選手へ転身。現在は大会運営に取り組みつつ、その魅力を知ってもらおうと奔走している。オープンウォータースイミングについて語り始めると途端に瞳がキラキラと輝き、話が尽きない彼女から、並々ならならぬ熱い思いが伝わってくる。

競泳選手から一転、オープンウォータースイミングの選手に


幼少時代から水泳一筋で、学生時代は800m自由形の選手だった野尻先生。日本選手権水泳競技大会、日本学生選手権水泳競技大会、国体などの大会において輝かしい成績を残し、トップクラスの競泳選手として活躍していた。
記録や成績を目標にひたすら練習する毎日。まさに水泳一色の生活だった。

そんな彼女に転機が訪れたのが、大学4年生の時。
日本水泳連盟のオープンウォータースイミング委員会が、2001年の福岡で開催される世界水泳選手権大会を見据え、世界で通用する選手を探しており、当時長距離の選手だった野尻先生に声がかかったのだ。

“ オープンウォータースイミング ” とは、海や湖、川などをフィールドに行われる長距離の水泳競技のこと。オーストラリアが発祥で、1980年代に国際水泳連盟が水泳競技種目として採用した比較的新しい競技で、現在は世界各地で大会が行われている。日本では、1996年に福岡で開催されたパンパシフィック選手権で初めて本格的な競技として取り入れられた。2008年の北京オリンピックより夏季オリンピック正式競技に採用されている。公式レースでは5・10・25kmを競うが、市民レースでは初心者も楽しめるよう400mや2km等のコースも用意されており、近年参加者も増加傾向にある。
「実は、そのお話をいただくまで“オープンウォータースイミング”という競技があることすら知らなくって。でも、出身が富山県で、海に近いところで育ったので海は大好きでした。話を聞いて、すぐに興味を抱き『じゃあ、やります!』って。これがオープンウォータースイミングとの出会いですね」。

大学チームの一員として競泳を続けつつ、オープンウォータースイミングの選手としての練習も行う、二足のわらじを履く生活が始まった。
「競泳では800mが最長種目だったので、実はもっと長距離を泳ぎたいという気持ちがあったんですね。だから本人はそれほど大変とは思っていなかったです」とあっけらかんと話す。

選手間の駆け引きが最高に面白い!


「最初はいくら泳いでもゴールになかなかたどり着かない感じでした。あまりにも海が無限すぎて。でも、プールで泳ぐよりすごく気持ち良かったんです!」。

競泳は同じ条件下でレースを行うが、オープンウォータースイミングはまず海という自然が立ちはだかる。波、風、潮流や照り付ける太陽やクラゲなど自然条件の影響を大きく受けることから、常にタフであることが求められるのだ。
レースではブイを目標に泳ぐため、顔をあげて目標物を確認しながら泳ぐ“ヘッドアップ”という泳法で泳ぐ。自転車レースのように、風や水の抵抗を減らすために人の後ろについて泳ぐなどの駆け引きも必要だ。

「海外の選手って体格が大きくて、水をかくテンポがすごく速いんですよ。そんな選手の集団の中で泳ぐわけですからね。いいコースを行こうとすると、時には殴られたり(わざとじゃないですよ)、沈められたり、脚を引っ張られたり、ゴーグルを外されたり、水面下で様々なバトルが繰り広げられているんです。それに対抗心を燃やして同じような行為をすると体力を消耗してしまう。どんな時も冷静でいることが鍵ですね。ゲーム性が高いっていうのは変ですが、人との駆け引きがおもしろくって。すっかりハマっちゃいました!」と笑う。

ひるむよりも、むしろ冷静に立ち向かい、それを面白さに変える、それが野尻先生なのだ。


しかし、彼女が始めた頃は、日本では全くといっていいほどマイナーな競技でこれから普及していこうという時代。世界へ出ていく選手がいない中、世界選手権などのビデオを見てレースや泳法などのノウハウを勉強するだけだった。
それだけでは実力がつかないと、アメリカやグアム、サイパンのレースに参戦して経験を積んでいった。

そして2001年、オープンウォータースイミング ジャパンオープンで優勝を果たす。
自らの努力で勝ち取った優勝。日本のトップに上り詰めた瞬間だ。

この成績を機に日本代表に選出され、同年福岡で開催された世界水泳選手権に参加した。
それは、世界のトップ選手と戦った初めてのレースだった。
結果は22位。
「海外の選手との差は歴然!圧倒されましたが、いい経験ができました。無我夢中でしたが」と振り返る。

海外のスイムレースで衝撃


大学卒業後は金井学園の職員として就職。アカデミアホテルのプールでの指導員として働いた。実は学生の頃から教員になることが夢であり目標でもあった。その夢があきらめきれず、働きながら大学院に通った。もちろん、オープンウォータースイムレース参加への練習も欠かさなかった。仕事、学校、練習とハードな日々が続いたが「今考えると大変な時期だったと思いますが、自分の夢を追いかけていたのでまったく苦に感じませんでした」。

米・サンディエゴのラフォーラで開催されたスイムレースに参加した時だった。
レース結果は満足のいくものではなく、選手としての限界を感じ始めていた。レース後、会場の様子を眺めていた。

「ラフォーラの大会は80年くらいの歴史があるのですが、会場を作り上げている人たちがすごく生き生きと働いていて楽しそうなんです。もちろん参加者も。だから会場も雰囲気もすごくいい!日本にはこんな大会がないなぁって…」。
競技終了後、新たな視点で大会を見ている自分に気付く。

「私もこんな大会を作りたい」。

選手を引退して、運営側に携わりたいという気持ちに切り替わったのはこの時だった。

選手を引退後は、仕事と両立する形で日本水泳連盟のオープンウォータースイミング委員として、競技者の発掘や普及活動にも取り組んでいた。
2006年には福井工業大学の講師としての着任が決まり、教員としての新たな生活がスタートした。夢が一つ叶った。
教員になってからもオープンウォータースイミング委員を続けていた。しかし、「水泳連盟として取り組んでいることは、自分がやりたいこと、つまりラフォーラの大会で衝撃を受けたことと違うんじゃないか」と心が揺れ動き始めていた。「自分で大会を開きたい」との想いが日に日に強くなっていくのだった。そしてついにオープンウォータースイミング委員としての活動に終止符を打つ。

夢の第一歩に向かって始動


いよいよ大会開催に向けて運動がスタートする。
目標はもちろんラフォーラのような大会。
地元・福井での大会開催として、三国サンセットビーチを候補に決めた。

「これまで大会の運営や役員等の経験を積んできたので、ある程度は大会当日になれば何とかなるかなぁって、内心思っていたんですけど。それより事前の準備がすごく大変で。まず、オープンウォータースイミングって何かから始まって、どういう競技なのか、どうして三国で開催したいのかということを会う方全てに説明していかなければならないんです。市長にも行政の担当者にも協力してくださる方にも、目的や趣旨、思いをきちんと話さないといけない。
おもしろいことをやるねって賛同してくれる方ばかりではない。私は富山県出身じゃないですか。どうして地元の人間じゃない人がここの海なのかって突っ込まれたこともありますね」。
人を説得する難しさを感じた時だった。

しかし、落ち込んだり、あきらめたりするわけにはいかない。

「夢はあきらめたくない。オープンウォータースイミングってこんなに楽しい競技なんだよって、知ってもらいたいんです。海で泳ぐという経験をしてもらいたい。これが一番の目的。それに付随して、街づくりや街おこしとかにつながっていくんじゃないかって。県や市、大学にとってもメリットになるんじゃないでしょうか」。
関係各所を説得に回り、拠点・環境づくりに奔走した。

念願の大会を開催。ようやくスタートに立った!



2010年9月5日、ついに『第1回福井三国オープンウォータースイムレース』が三国サンセットビーチで開催された。

実は、前日は台風が接近しており、海は大荒れ。準備会場では不安と緊張が渦巻いていた。
急きょ設営したテントをたたみ一時避難。コースも変更を余儀なくされた。
「本当に慌てました!オープンウォータースイムレースでは特に参加者全員が事故なく無事に戻ってくることが最優先事項。だから波の高さがすごく重要になってくるんですね。幸い三国サンセットビーチは湾内なので、少しの移動ですみました。もう、翌日がどうなるか気が気ではなかった」。

大会当日、昨日とは打って変わって快晴。波も静かで、参加者を歓迎しているかのような絶好のレース日和になった。
全国から約150名もの参加者が集まった。
初心者や中高年の参加者も多かった。日頃ジムで泳いでいる人や昔海で泳いでいた人が興味を持ち参加したのだという。
「オープンウォータースイミングは自分のペースで確実に前に進める競技の一つ。中高年の方にぜひトライしてもらいたいスポーツなんです」。

日本海の波のうねりの洗礼を受け、苦戦する参加者もいたようだが、経験者も初心者もゴールは笑顔だった。


「無事にやり遂げられた。けが人を出さず、参加者の皆さんにも喜んでもらえた。地元の方にもいい大会だと言ってもらえた」
とホッとした途端、これまでの緊張の糸がプツリと切れた。

途端に、抜け殻のような状態に。家から出られないほどだった。
燃え尽き症候群だ。その状態は1週間近くも続いたという。

それで終わらないのが野尻先生なのだ。
疲労も回復し、すぐさま第2回大会に向けて活動を開始した。

第1回大会で痛切に感じたこと ― それは、地元とのつながりの大切さだった。
「私は地元出身でもないし、そこに関わる活動に参加したこともない。いきなり外部の者がイベントを開催したいといっても簡単にできるものではないんですよね。例えば、三国では浜辺の清掃を長年実践されるなど、なんらかの形で貢献することで地元になじんでいる方がいっぱいいるわけです。時間をかけて地元の方と絆を築くことがいかに大切かということを学びました」。

2年目の夏。そして3年目に向けて


第2回福井たかすオープンスイムレースの様子

そして2年目の夏。
今年(2011)の8月14日、場所をたかす海水浴場に変え『第2回福井たかすオープンウォータースイムレース』が開催された。
参加者は昨年の倍の300名弱に増えた。
前回の参加者からの評判を聞いて参加する人も多かったという。
野尻先生の思い、行動が少しづつ浸透しつつあるのだ。

第2回大会を無事に終え、さらに多くの人に支持される大会を目指して、関係各所との連携やPRのための拠点まわりと、3年目の開催に向けて早くも準備は始まっている。
開催日時は2012年8月25日(土)、場所は今年と同じくたかす海水浴場。
大会終了後に選手同士の交流会も予定している。

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いずれ日本から海外に選手を排出したい


彼女の理想とする大会の実現に向けて歩み始めたばかりだが、同時に選手輩出も念頭にあるようだ。
「今年2回海外の大会を見てきましたが、世界と日本の間にいまだ垣根があることを実感しました。これからは、さまざまな情報を日本に取り入れるなど世界と日本のパイプ役として役に立ちたい。日本の大会に海外の選手を招待したり、逆に日本から海外のレースに選手を送り出す、そんな流れを作っていきたいですね」と夢は尽きない。

実は今、トライアスロンの参加も考えているという。
「う~ん、ランがどうも苦手で。でも、トライアスロンでのスイムがどんなレースか体感してみたいんですよ。オープンウォータースイムレースの参考にできるかと思って」。
彼女が見つめる先は、やはりオープンウォータースイミングなのだ。

オープンウォータースイミングの普及に関する活動は、自身の研究活動にもつながっています。これまでコーチや大会運営などで培ってきた経験も活かしながら、教員として学生の指導にも力を注いでいきたい。



学年学科名等は、取材時のものです。