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2026.06.30
【リレーコラムVo.13】「歩の意識」とは「生きるという意識」
「歩の意識」とは「生きるという意識」
私は,約30年歩行に関する研究を行ってきました.その中で,当時83歳のNさんは,10年前の阪神大震災で歩行困難になり,10年間杖が必要でした.しかし,「私,もう一度杖を離して歩きたいのよ!」と話され,私たちの運動教室へ参加して,自力歩行が可能になりました.しかし,その時に,Nさんは,「治りたい」はなく「歩きたい」と言われたことがどうしても気になっていました.その後,何年もこのことが気になりながら最近ようやく気付いたのです.それは,「歩」(歩の意識)きたいとは,「生」をあきらめない気持ちの表れだと.これこそが尊厳だと.
「歩の意識」は,直立二足歩行を獲得したヒトの中に芽生え,ヒトは,「ヒトの尊厳」を育みながら文化・文明が発展してきたと考えます.この「歩の意識」は,ヒトが主体的に「生きる意識」を持つために絶対的な価値観でした.しかし,現代社会は,モータリゼーション化やIT革命により「歩の意識」を弱め,文化・文明が暴走をはじめています.
ヒトは,文化・文明が平和で豊かな社会を築くと信じていたのが,現代は,そこに疑問が生まれ,迷いが生じている可能性があります.すなわち,現代のヒトには,これまで種々の変化や進歩は,1歩ずつだと思っていたのに,突然,「一足飛びに変化するかもしれない」という恐怖が芽生え始めているのです.それは,「変化に敏感でなければ乗り遅れる」,あるいは「乗り遅れると二度と追い付けない」という恐怖(ドロモロジー)です.
この原因こそは,モータリゼーション化に代表される機械文明やIT革命の急激な進化によってもたらされた「歩の意識」の気薄化にあると考えます.
モータリゼーションの進化は,「歩」のイメージを「遅い(乗り遅れる),生産性が低い・代替可能」などマイナスイメージに変質してしまい,「歩」は「力・行動力・意志の強さ」を意味しなくなりました.そして人間はただ歩かなくなったというだけでなく,「人生を切り開く手段」が分からなくなり,再び虚無感にさいなまれるようになったのです(=人間の尊厳を見失った).
人間の人間たる所以は,文化・文明であり,それは「歩の意識」に基づき長い年月をかけて1日1日,一歩ずつ粘り強く「共存共栄」の道を目指して積み重ねてきたものです.
「共存共栄・文化文明」とは,出会い(ai=あい),付き合い(ai),理解(ai),分かち合い(ai),助け合い(ai)からつながる信頼(ai)を未来(ai)につなげる「愛の道」のことであり,小さい(ai)・弱い(ai)ものの中にこそ(ai)は隠れており,「歩の意識」とは,小さい(ai)・弱い(ai)ものを踏みつけないように慎重に歩いていく人間の美意識でもあります.すなわち,それらは,全て「人間の尊厳」につながる哲学的思考に他なりません.(「AI(人工知能)」が(ai)を駆逐してしまわないか心配です).
私は,ヒトが,今一度「歩の意識」を思考することは,「人間の尊厳とは何か」という哲学的問いかけの重要性を改めて知ることであると思います.そしてそれは,結果的に人類の「共存共栄・文化文明」という世界平和に貢献する共通の理念となりうると考えます.
お問い合わせ:社会連携推進課