熱中時間

FUTの人たちの最高の
時間をインタビュー
FUTの人たちはなぜ熱中しているのか。熱中するものだけが感じられる最高の時間とは何か、に密着する。

No.114
スポーツ健康科学部スポーツ健康科学科 教授
金井学園バレーボール部総監督

中垣内 祐一

theme:世界から福井へ。大学教員、バレーボール総監督としての抱負を語る

福井市出身で、バレーボールの日本代表選手、同監督として活躍した中垣内祐一氏が、10月1日、福井工業大学教授と金井学園バレーボール部の総監督に就任した。オリンピックをはじめ、多くの国際試合などの経験を通して今の若者に伝えたいことや、大学教員、総監督としての抱負、地元福井のバレーボール界への思いをうかがった。

世界を舞台に、日本を代表するエース、指導者として活躍

中垣内教授がバレーボールを始めたのは中学1年生のとき。高校でもバレー部に所属したが、バレーボール選手を目指そうとは考えていなかったという。「国立大学の工学部に進学し、エンジニアになって、ものづくりに携わりたいと思っていました。しかし、共通一次試験(現:大学入学共通テスト)の結果を踏まえ筑波大学を受験し、体育教員になって福井へ戻るという方向へ転換しました」。当時(1979~86年)の国公立大学入試制度では、共通一次試験後のニ次試験で受験できる大学は1校に限られていたのである。

筑波大学のバレーボール部に入部すると実力を発揮。1年生からレギュラーとしてコートに立ち、1989年、4年生のときに全日本代表に選ばれ、同年に日本で開催されたワールドカップに初出場した。卒業後は、新日本製鐵(後の堺ブレイザーズ)の選手としてプレーしながら、全日本代表として数々の国際大会で活躍し、1992年のバルセロナオリンピックにはエースとして出場。2004年の現役引退後は、堺ブレイザーズの監督を務めるなど後進の指導に当たり、男子日本代表が29年ぶりに予選リーグを突破し8強進出を果たした2021年の東京オリンピックで監督を務めたことは記憶に新しい。

1年遅れ、かつ無観客で開催された東京オリンピックについて、中垣内教授はこう振り返る。「ご家族をはじめ応援したかった方もたくさんおられたはず。できれば観客を入れた中でプレーさせてあげたかった。しかし、そこはまず開催されたことを喜んでいます。開催にあたっては、選手が所属するチームや学校の方々、家族、友人など本当に多くの方々の想いと協力が寄せられました。全員の気持ちがあってのオリンピックであり、結果だったと思っています」。
 

懸命に取り組んだ経験は、必ず自分自身の力になる


約15年に渡りバレーボール界の第一線で活躍した中垣内教授。その経験から、何事においても、全身全霊をかけて取り組まないと、よい結果は出せないと語る。「片手間ではだめなんです。自分の生活の全てを“なし得たいこと”に注ぎ込むこと。そうしなければ、日本や世界での1番にはなれない。若い時代のどこかで、そういう時間を持つこと。その目標が何事であっても、たとえ達成できなかったとしても、その過程で学べることはいっぱいあるはずです」。また、ほとんどの競技において現役でいられるのは十数年に過ぎず、その後の人生の方が長い。「競技から離れて社会に出ていくときに、求められる人材になっていてほしい」との願いも強い。

“学ぶ”という点では、中学生のときから好きだった英語を、受験を通して一生懸命勉強していたことが、外国の選手と会話する上で非常に役立ったそうだ。「外国人の先生の下で英語の勉強をしている今の学生が本当に羨ましい。文法も大事だが、コミュニケーションを取る上では、まず物怖じせずに話す経験がすごく大事」と外国語を学ぶ重要性を指摘。また、研修で約2年間滞在したアメリカでの体験から、自己主張することの大切さも実感しているという。「大学で私が話したことに対し次々と質問や意見が発せられ、日本人とのメンタリティの違いを感じました。日本人は遠慮するのが美徳だと思っているところがありますが、自分の考えを積極的に発言してアピールしていくことこそが必要だと思います」。

大学教員、バレーボール部総監督として新たな舞台へ

バレーボールの世界に身を置きながら、50歳辺りで帰郷し、家業の農業を営もうと思っていたと話す中垣内教授。今年6月末に堺ブレイザーズを退団し、米作りを行っていたところに、金井学園から教授と総監督就任依頼があり、承諾した。「大学入学時には教員になって福井に戻るつもりでしたから、後ろ倒しで実現しました」。

実技の授業は既に開始し、一般体育のバレーボールを受け持っている。座学の授業を担当するのは来年からの予定で、学生への接し方については、まだ手さぐり状態だという。しかし、「これまでやってきたバレーボールの指導では、少年たちのプレーや考え方が変化し、成長していく姿を見るのが大きな喜びでもありました。大学の4年間は人間として大きく成長する時期。そういう場面を間近で見ることになるのは本当に楽しみです」と話している。

金井学園のバレーボール部総監督としては、中学、高校、大学の各部の指導についてのアドバイスやサポートを担う。大学男子バレーボール部の栗生澤監督は、バルセロナオリンピックで日本代表として一緒にプレーし、その後も交流が続く旧知の間柄で心強い存在だ。世界を舞台に闘ってきた経験に大きな期待と注目が寄せられている中垣内教授。大学という新たな舞台に上がり、再び学ぶ構えである。「私はバレーボールで今までやってきましたが、大学には、それぞれの分野で研究を積み重ねてこられた先生がたくさんおられます。そういった先生方から学び、またサポートしていただきながら、学生に向き合っていきたいと思っています」。


福井から世界へ羽ばたくバレーボール選手の育成に尽力したい


休日を中心に農作業を手掛ける中垣内教授。実は数年前から、日本代表監督の業務の合間を縫って福井へ帰り、米作りを行っていたそうだ。「田んぼの手伝いは子どもの頃にやっていましたからね。福井は海も山もあり自然が豊かですし、稲作は自然の中の仕事。自然と対峙していると心が落ち着きます」と笑う。

そして今年、生活の拠点を福井に移したことで、県内の中・高校のバレーボール指導者に会う機会も増え、中垣内教授への教育・指導の期待も高まっている。「福井県は、三屋裕子さん、荻野正二君、清水邦広君という日本代表選手を輩出し、人口80万人を切る小さい県からこのように世代を代表する人材を輩出しているのは本当に誇りです。今後、優れた選手の発掘、育成に携われたらと思います」と語り、さらに、「指導の根幹は熱意。熱意があれば工夫も生まれるし、熱意ある指導者がどれだけいるかということが、競技を語るうえでは欠かせない」とも。「金井学園の総監督であると同時に、福井のバレーボールの総監督のような気持ちも持っています」との言葉に、改めてふる里福井への思いが伝わってきた。



学年学科名等は、取材時のものです。